BRAND HERITAGE

GT-Rの系譜と名車たちの歴史──ハコスカからR35まで

2025.12.07 更新

日産GT-Rは、1969年の初代スカイラインGT-Rから現行R35まで、半世紀以上にわたって日本のハイパフォーマンスカーを牽引してきました。レースで勝つために生まれたハコスカ、復活のR32、集大成としてのR34、世界のスーパーカーと戦うR35。それぞれの世代がどんな背景と役割を持っていたのかを、時代ごとの技術やモータースポーツの流れとともに振り返ります。

MODEL HERITAGE OUTLINE

このHERITAGEは、「GT-Rの系譜と名車たちの歴史──ハコスカからR35まで」がどの時代にどんな役割を担ったのかを、 ブランドの系譜の中で振り返るための読み物です。

■ GT-Rとは何か──「実用車ベースでサーキットに勝ちに行く」発想 GT-Rの名前は、単に速いスポーツカーを意味するだけではありません。量産車をベースにしながら、レースで実際に勝てる性能を持つこと。日本メーカーとしての最新技術を詰め込み、その時代の国産車の「到達点」を示すこと。GT-Rは、そんなエンジニアたちの挑戦の象徴として育てられてきました。 初代から現行R35に至るまで、エンジン形式も駆動方式もボディサイズも大きく変わりましたが、「量産車でありながらレースレベルの性能を狙う」という根っこの思想は一貫しています。 ■ 1. GT-R誕生前夜──プリンスとスカイラインのレースDNA GT-Rの物語は、旧プリンス自動車が手掛けた初代スカイラインにまでさかのぼります。1964年の第2回日本グランプリ、プリンスは市販セダンのホイールベースを延長し、レーシングカーR380用エンジンを搭載した「スカイライン2000GT」を投入しました。 ・ファミリーセダンのボディに、レース用直列6気筒エンジンを搭載 ・富士スピードウェイで、当時最強クラスのポルシェ904と真っ向勝負 ・最終的には勝利こそ逃したものの、国産勢が世界レベルと戦えることをアピール この「実用車をベースに、本気でレースに挑む」という文化が、のちのスカイラインGT-Rの土台になります。1966年にプリンスが日産へ統合されても、レーシング部門の人材とノウハウはそのまま受け継がれました。 ■ 2. 初代スカイラインGT-R(PGC10 / KPGC10:1969〜1972年) 初代スカイラインGT-Rは、箱型ボディのC10型スカイラインをベースにした高性能グレードとして1969年に登場しました。当初は4ドアセダン(PGC10)として発売され、のちに2ドアハードトップ(KPGC10)が追加されます。通称「ハコスカGT-R」です。 エンジンはS20型2.0L直列6気筒DOHC。元をたどればR380レーシングカーのGR8ユニットを量産向けにアレンジしたもので、4バルブDOHC・クロスフロー吸排気・3連キャブレターなど、当時としては完全にレーシングスペックでした。 ・S20型エンジンは公称160ps前後だが、高回転での伸びはカタログ値以上 ・4輪独立懸架サスペンションと軽量ボディの組み合わせで、コーナリング性能も高水準 ・ブレーキやギア比もレース前提で設定され、市販車でありながらサーキットで即戦力になり得た 国内のツーリングカーレースでは、ハコスカGT-Rはほぼ無双状態となります。公式戦での連勝記録は50勝以上とも言われ、スタートグリッドをGT-Rがずらりと埋め尽くす光景は、当時のレースファンの記憶に強く刻まれました。ここで「GT-R=サーキットで勝つクルマ」というイメージが完全に固まります。 ■ 3. 2代目「ケンメリ」GT-R(KPGC110:1973年)と突然の中断 4代目スカイライン(C110系)は、CMキャラクター「ケンとメリー」のイメージから「ケンメリ」の愛称で知られています。その頂点に位置づけられたのが2代目スカイラインGT-R(KPGC110)です。 スタイルは丸テールランプとロングノーズ・ショートデッキの流麗な2ドアクーペ。エンジンは引き続きS20型が搭載され、ボディには専用オーバーフェンダーやスポイラーが与えられました。スペックだけを見れば、ハコスカGT-Rの正統進化形です。 しかし1970年代初頭、日本の自動車業界は大きな転換点を迎えます。 ・排ガス規制の急激な強化 ・オイルショックによる社会全体の省エネ志向 ・モータースポーツへの視線の変化 こうした要因が重なり、ケンメリGT-Rはレース活動を行う前に市販が打ち切られてしまいます。生産台数は数百台規模とされ、結果的に「幻のGT-R」として語り継がれることになります。 ここを境に、GT-Rの名前は長い休眠期間に入ります。スカイライン自体はL型エンジンやターボエンジンを搭載するスポーティセダンとして成熟を続けますが、「GT-R」という称号は封印されたままでした。 ■ 4. R32スカイラインGT-R(BNR32:1989〜1994年)──16年ぶりの復活とグループA制覇 1980年代後半、国内外のツーリングカーレースはグループA規定が主流となり、BMW M3やフォード・シエラRSコスワースが活躍していました。日産はここで再び「スカイラインで世界と戦う」決断を下し、グループA制覇を前提にしたR32 GT-Rの開発が始まります。 ・新設計のRB26DETT 2.6L直列6気筒ツインターボ ・電子制御トルクスプリット4WDシステム「ATTESA E-TS」 ・前後マルチリンクサスペンションとワイドトレッド化 グループAの排気量ハンデを見越して2.6Lという中途半端な排気量を選び、タイヤサイズや最低重量、ブースト圧まで含めて「レースで勝つための市販車」としてパッケージングされました。カタログ上は280ps自主規制に合わせていますが、実際のポテンシャルはそれ以上だったと言われています。 JTC(全日本ツーリングカー選手権)に投入されたR32 GT-Rは、まさに別次元の速さを見せます。 ・参戦初年度からライバルを圧倒し、シリーズタイトルを連続獲得 ・富士スピードウェイや鈴鹿サーキットで「GT-Rが出れば表彰台の大半がGT-R」という状況に ・オーストラリアのバサースト1000kmレースでも活躍し、現地メディアから「Godzilla(ゴジラ)」の異名を授かる その強さはあまりに突出しており、最終的にはグループAそのものが終焉に向かっていく一因になったとも言われます。市販車としても、四輪駆動とターボの組み合わせにより、雨でも雪でも「とにかく速い」国産スポーツカーとして、多くのファンを魅了しました。 ■ 5. R33 GT-R(BCNR33:1995〜1998年)──大柄ボディと熟成された足まわり R33スカイラインはボディサイズが一回り大きくなり、それに伴いGT-Rも全長・全幅ともに拡大しました。見た目の印象やカタログ重量だけを見ると「重くなった」と評価されがちですが、シャシー性能は大きく進化しています。 ・ホイールベース延長により、高速域でのスタビリティが向上 ・ボディ剛性の強化とサスペンションジオメトリの見直しで、ニュルブルクリンク北コースのラップタイムを短縮 ・4輪ハイキャス(四輪操舵)やトラクションコントロールを含め、電子制御の介入をより自然に調整 R33 GT-Rは日産自身がニュルブルクリンクでの開発テストに力を入れた世代で、「量産市販車として世界トップクラスのニュルラップ」を当時実現しています。実際の乗り味も、高速道路やワインディングでの安定感に優れ、ロングツーリング向きのキャラクターが強いモデルです。 また、レースベース車としての「N1仕様」や、アクティブLSDを組み合わせた「Vスペック」、ル・マン参戦記念カラーをまとった「LMリミテッド」など、バリエーションも豊富でした。近年はR32・R34に比べて中古車価格が落ち着いていたこともあり、「走り込めるGT-R」として再び人気が高まっています。 ■ 6. R34 GT-R(BNR34:1999〜2002年)──直6時代の集大成 R34スカイラインGT-Rは、R33で大きくなったボディを再びコンパクトにまとめ、ホイールベースも縮めた「スポーツ方向への再シフト」と言えるモデルです。 ・RB26DETTの最終進化版を搭載し、レスポンスと耐久性を強化 ・ゲトラグ製6速MTを採用し、クロスしたギア比でサーキット走行に最適化 ・マルチファンクションディスプレイ(MFD)でブースト圧や水温・インジェクター開度などをリアルタイム表示 シャープなハンドリングと情報量の多いステアリングフィールにより、ドライバーは「クルマと会話している」ような一体感を味わえます。ゲームソフト『グランツーリスモ』シリーズや映画作品への登場も相まって、R34 GT-Rは世界的な知名度を獲得しました。 VスペックII、Mスペック、そして最終記念として2002年に登場した「Nur」など、特別仕様車は現在コレクターズアイテムとして非常に高い価値を持っています。RB26+直6ターボ、マニュアル、FRベース4WDという組み合わせを採用した最後の世代であり、「スカイラインGT-R」という名前を冠したモデルもR34で終わりを迎えます。 ■ 7. R35 GT-R(2007年〜)──グローバルスーパーカーへの進化 2007年に登場したR35 GT-Rは、「NISSAN GT-R」としてスカイラインから独立した新シリーズです。世界中のサーキットとマーケットを視野に入れた、グローバルフラッグシップとして開発されました。 ・VR38DETT 3.8L V6ツインターボエンジン(熟練職人による手組み) ・トランスアクスルレイアウトを採用し、デュアルクラッチトランスミッションを後部に配置 ・高度に統合された4WDシステムとスタビリティコントロールで、誰が乗っても高いパフォーマンスを発揮 ニュルブルクリンク北コースでは、量産四座車として世界屈指のラップタイムを記録し続けました。NISMO仕様ではさらなるタイム短縮に挑戦し、「価格帯が近いスーパーカーに対して、タイムで真っ向勝負できる国産車」として世界の注目を集めます。 R35の特徴は、フルモデルチェンジを行わずに年次改良を重ね続けている点です。エンジンの内部部品やECU制御、ボディ補強、足まわり、トランスミッション制御などが少しずつアップデートされ、初期型と後期型では乗り味や静粛性が別物と言えるほど洗練されています。 ■ 8. GT-Rという名前が背負うもの GT-Rの歴代モデルを俯瞰すると、共通しているポイントがいくつか見えてきます。 ・量産車でありながら、レースやサーキット走行に耐えうるパッケージであること ・その時代ごとの最新技術を惜しみなく投入し、日本車の到達点を示すこと ・ドライバーに「クルマを操る楽しさ」と「タイムを削る緊張感」の両方を与えてくれる存在であること ハコスカやR32がレースで結果を残し、R34が映像作品を通じて世界中のファンに夢を与え、R35がニュルブルクリンクでスーパーカーと肩を並べる。この積み重ねによって、「GT-R」という3文字は単なる車名ではなく、日本の自動車文化そのものを象徴するブランドへと成長しました。 ■ 9. これからのGT-Rに期待したいこと 電動化やカーボンニュートラルの流れが強まる中で、次世代GT-Rがどのようなパワートレーンを採用するのかはまだ確定していません。フルEV、ハイブリッド、高効率なターボエンジン+電動アシストなど、さまざまな可能性が議論されています。 ただし、パワートレーンの形式がどう変わったとしても、「GT-R」と名乗る以上は守るべき軸があります。 ・その時代の技術を総動員し、世界のライバルと真正面から戦える性能を持つこと ・幅広いドライバーが扱える安心感と、限界を探る楽しさの両立 ・日本発のハイパフォーマンスカーとして、世界中のクルマ好きに誇れる存在であり続けること GT-Rの歴史は、スペックの変遷ではなく、エンジニアやドライバーが「もっと速く、もっと強く」を追い求めてきた物語そのものです。ハコスカ、ケンメリ、R32〜R34、そしてR35。どの世代にも、当時の技術と情熱が色濃く刻まれています。 このHERITAGEでは、今後、各世代のGT-Rを1台ずつ掘り下げながら、エンジンや足まわり、レースでのエピソードなどをさらに詳しく追いかけていきます。その入り口として、このページが「GT-Rってそもそも何者なのか」を整理する一枚の地図になれば幸いです。

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NISSANGT-RスカイラインGT-R国産スポーツカーの歴史